食べ歩き。長野市、ラーメン店、鍾馗。

かわらしま

2016年12月22日 10:36

きのうは長野市内にあるラーメン店へ行ってきました。
その店は入り口に暖簾も看板もかかってはいなかったのですが、商店街の道端で人が並んでいたのでそれと判りました。
列の後ろについて、閉まっているガラスの扉ごしに店内をのぞくと、そこにも人が並んでいます。
列は前へすすんで、店のなかにはいっていきました。
客のほとんどはスーツ姿の男たちです。女性の姿もありますが、みなさん現役で働いている人たちばかりにみえます。そして、無言で席数6のカウンターに座れるのを待っています。
綺麗に掃除がされている店内には無駄なものは一切ありません。
ようやく、私の番がきました。
カウンターに座ると、目の前にはひとりの男の戦場がありました。
動線を計算しつくしたのであろうオープンキッチンで、男はひたすらにラーメンをつくりつづけます。
私の注文は本枯節ラーメン。
みたところダシ汁は1種類。基本の中華そばは、そのだし汁を暖めたもの。本枯節は、そのダシ汁を手鍋にいれ、本枯節を客の目のまえで加え、客の目のまえでザルで濾したもののようだ。
なるほど・・・
これだと基本のダシ汁1種を作っておけばよいので無駄がない。だが、手間はかかる。
男はいま戦場の真っただ中にあって、無心で体を動かしているはずだ。
ぞんざいなものを出したら客はこなくなる。立ちどまったらおいてかれる。ひたすらに自分の納得できるラーメンをつくり、客に提供しているようにみえる。
客への言葉のかけかたもすこぶるよいのは、客に見限られることが何を意味しているのか知っているからなのだろう。
チャーシュー丼。120円。
ほとんどの店がラーメンには使いずらい切れ端のチャーシューを丼に乗せていたのにたいし、この男は、たかだが120円の丼に乗せるためだけのために、それようにチャーシューをつくり、厚く切って、バーナーで焼き色をつける。
カウンターに置かれたのは、ご飯とチャーシューだけの丼。
余計なものは一切ない。真剣勝負。
主のその姿に、俺も頑張ろうと励まされる客も多いのではないだろうか。
一杯のラーメン。
そしてチャーシュー丼。
そこでやりとりされていたのは、ラーメンの姿をした「愛」
伝わりました。私にも。
ありがとうございました。




写真は、その帰りに買った峠の釜飯。
添えられていた小さなプラスチック容器。
開けると、香の物が5品。
沢庵3切れでもよさそうなものを・・・
そこにも愛がありました。

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