2016年12月17日
恐ろしいものを見た夜はキムチ鍋
5年前、大鹿村にきたときの村の人口は1100人ちょっと。
今は1000人ちょっとになっています。
2040年には500人を割るといいます。
楢山節考をかいた深沢七郎が、東京の人口は500人くらいがよいといっていたことを思いだすことがあります。
きのうは用事があって、河原嶋の上へ出かけてきました。あちこちに廃屋があって、そのどれもを、自分はひととおり見て知っていたつもりの自称、廃屋マニアでもあります。
首都圏で生まれ育った私には、廃屋は懐かしいものとして目に映っています。
そんな私が、きのう、初めて発見!?した廃屋。
あれ! こんなとこにもあったんだ。と車をとめて、その家へむかいました。
そして、その家からみえたのは恐ろしいものでした。
家の前にひろがっていたのは南アルプスの広大な景色。
視野のとどく限り人を想わせるものはなにひとつありません。
ひとのちっぽけさ、はかなさ。気のとおくなるような時間・・・
この世の真実をつきつけられている感じ。
こんな風景をまいにち見て暮らしていた人は、どんな人生をおくられていたのでしょうか。
この景色をまいにち見て暮らすことなど、私にはできません。
怖くなって、山をくだり、谷底の河原嶋橋についてほっと一息。
こんな夜はキムチ鍋。
温まりたい。
今は1000人ちょっとになっています。
2040年には500人を割るといいます。
楢山節考をかいた深沢七郎が、東京の人口は500人くらいがよいといっていたことを思いだすことがあります。
きのうは用事があって、河原嶋の上へ出かけてきました。あちこちに廃屋があって、そのどれもを、自分はひととおり見て知っていたつもりの自称、廃屋マニアでもあります。
首都圏で生まれ育った私には、廃屋は懐かしいものとして目に映っています。
そんな私が、きのう、初めて発見!?した廃屋。
あれ! こんなとこにもあったんだ。と車をとめて、その家へむかいました。
そして、その家からみえたのは恐ろしいものでした。
家の前にひろがっていたのは南アルプスの広大な景色。
視野のとどく限り人を想わせるものはなにひとつありません。
ひとのちっぽけさ、はかなさ。気のとおくなるような時間・・・
この世の真実をつきつけられている感じ。
こんな風景をまいにち見て暮らしていた人は、どんな人生をおくられていたのでしょうか。
この景色をまいにち見て暮らすことなど、私にはできません。
怖くなって、山をくだり、谷底の河原嶋橋についてほっと一息。
こんな夜はキムチ鍋。
温まりたい。
Posted by かわらしま at 20:28│Comments(0)
│古民家暮らし