2017年09月04日
道の駅、戦国時代。
南信州で最も南に位置している村のひとつ平谷村。
その村は長野県でもっとも人口の少ない村。
それはもしかすると大鹿村の未来図なのかもしれないと気になっていて見にいってみました
すると、平谷村の道の駅にあふれかえっている車。
人、人、人・・・。
車のナンバープレートはほとんどが中京圏。
この道の駅には集客する仕掛けが見事に施されていて、この施設とシステムを設計した人、それを信じて創りあげた村役場の人もたいしたものだなと思いましたが、それをさせた原動力は、これにかけないと村がほんとうに消滅してしまうという危機感だったのかもしれません。
そして、この道の駅から車で数分、走ったところにあった根羽村のネバーランド。寂れた感じは否めませんでした。
先発のネバーランドは、あとからできた平谷村の道の駅に食われたように見えます。
人口の減少に歯止めをかけようとしてはじまった地方創成で、雨後の竹の子のようにできた道の駅ですが、道の駅もいまや戦国時代。道の駅によって、地方どうしの明暗がくっきりと見えたようですが、河原嶋も人事ではありません。
河原嶋のリピーターさんも中京圏の方が多いのですが、あの平谷村の道の駅を越えても来てくれる魅力とはなんだろう・・・。
そのことを考えながら帰ってきました。

その村は長野県でもっとも人口の少ない村。
それはもしかすると大鹿村の未来図なのかもしれないと気になっていて見にいってみました
すると、平谷村の道の駅にあふれかえっている車。
人、人、人・・・。
車のナンバープレートはほとんどが中京圏。
この道の駅には集客する仕掛けが見事に施されていて、この施設とシステムを設計した人、それを信じて創りあげた村役場の人もたいしたものだなと思いましたが、それをさせた原動力は、これにかけないと村がほんとうに消滅してしまうという危機感だったのかもしれません。
そして、この道の駅から車で数分、走ったところにあった根羽村のネバーランド。寂れた感じは否めませんでした。
先発のネバーランドは、あとからできた平谷村の道の駅に食われたように見えます。
人口の減少に歯止めをかけようとしてはじまった地方創成で、雨後の竹の子のようにできた道の駅ですが、道の駅もいまや戦国時代。道の駅によって、地方どうしの明暗がくっきりと見えたようですが、河原嶋も人事ではありません。
河原嶋のリピーターさんも中京圏の方が多いのですが、あの平谷村の道の駅を越えても来てくれる魅力とはなんだろう・・・。
そのことを考えながら帰ってきました。
